本文は、アドラー心理学から人間関係における悩みをどのようにしたらよいのかを書いたものである。人は物心ついた時から人の間で生きる。さまざまな悩みや葛藤を抱え成長し大人になる。人との関係での悩みは尽きることはない。深い洞察力からアドラーは人の悩みの根底にあるものを浮かび上がらせ指針を示してくれる。あなたにとって少しでも一助になれることを願う。
Contents
すべての悩みは人間関係にある
人間関係といってもさまざまな関係がある。国における国家元首と国民、企業における上司、部下の関係、家庭における親子関係、所属する組織の年配者、後輩者の関係、職場の同僚、などなど。どんなところにいても人間関係がゼロということはない。
あなたは、どんな関係に悩んでいますか?
職場における後輩、または部下との関係?
または、アドラーの著書「幸せになる勇気」のような。学校教育における先生と生徒の関係、それは無限のような人間関係がそこにはあるでしょう。
アドラー心理学を読んでいくと見えてくるものは、人間関係には「尊敬」というものが必要だと語っています。でも「尊敬」も言葉だけで理解してはいけません。
「尊敬」というアドラーのいう意味を理解する必要があります。
尊敬
人との関係において何が必要かをアドラーは「尊敬」が必要だと述べています。その「尊敬」とは、偉人だからとか、先生だからとか、社長だからとかではないと。
例えば、学校における先生も生徒に「尊敬」の念を向けることが大切としています。
多くの人にとって人間関係は利害関係が絡み合います。
例えば、会社における上司と部下の関係。そこには、「怒られる」「叱られる」「褒められる」という感情がその関係を支配します。給与というお金の損得も関係します。
国家においても同じだ。
何かした時に裁かれる。報奨を受ける。
正に、賞罰を受ける受けないの関係には「尊敬」は醸成することはないだろう。
否、そんなことはない。
と反論をあなたは言われるかもしれない。
会社の上司は仕事もできるし、「尊敬」をしていると。
「尊敬」というアドラーのいう意味を理解する必要がある。

部下から上司を尊敬し、上司も部下のあなたを尊敬することが必要だと。
上司はあなたを「尊敬」しているのだろうか?
アドラー心理学では、お互いが「尊敬」の念を持つことが大切だとします。
上司と部下。上司は部下のあなたが仕事でミスをしたら「叱り、または怒る」
よい結果、成果を上げたら「褒める」という行為、感情を出すに違いない。
「怒る、叱る」は同義語であり、「褒める」は能力のあるものが能力の劣った者を評価することであり、その目的は「操作」することだ。
「怒る、叱る」「褒める」の関係は縦の関係に過ぎず、横の関係にはなりえない。
人間は生来、弱い生き物であり、共同で仕事を行い、生活して行かなければ生命を維持していけない生き物であった。このことから人間は共同体を求める生き方を無意識の中で行っている。
上司、部下の関係には、お互いに対する「尊敬」はないのではないか?
さらにいうと「尊敬」は強要して持つものでもない。
アドラーの教えの中に「尊敬」とは、ありのままにその人を見ることだとしている。
縦横の関係
上司、部下の関係をより深く考えて見る。人間社会は縦社会を作りやすい。
目上がいて目下がいる関係が常にある。ゆえに、人間は悩みが尽きないのだといえる。
そこには自分と相手の2人がいて二面性があるものが悩みのタネになっており相手に求めるが故に出てくる悩みがある。
多くの人は、二面性のある考えになっている。
「悪いのはあなた」
「可愛そうな私」(私は被害者)
大切なことは、相手やあなたのことの現状ではなく
「それではどうするか」だということを考えることだ。
人間の問題行動 5つの段階
人との関係がうまく行かない時に、表出する行動にはどのようなものがあるか。アドラーは次に上げる5つの行動の段階があると述べている。

称賛の段階
承認欲求のことであり、「褒めてもらいたい」という欲求である。褒めてもらうために仕事をしたり行動を行う。では「褒めてもらえない」とどうなるのか?
人は承認欲求のままに不適切な行動に動くとしている。
注目喚起の段階
認めてくれない、褒めてくれない、ならば、注目を浴びる行動をとろうとします。目立つ行動です。
学校などの教育現場でいうと、授業を妨害、家庭で暴れるなどが該当する。
権力争いの段階
反抗を行うこと、挑戦的な行動にでることである。復讐の段階
注目喚起をしても、反抗的な行動に出ても歯が立たないと判断すると、人は復讐する行為を行い始める。わかりやすい事例は、ストーカー行為だ。
無能の証明の段階
最終段階では、あやゆる手段を使って、「自分は無能だ」「何もできない人間だ」「存在する意味がない」などいかに、自分が能力のないものを証明したがる。
自立
人間の悩みはすべては人間関係にあるとしているアドラーの教え。人は共同体で生きるものであるがゆえに、人との関係をどのようにしていくかが重要なポイントである。
成長期
生まれてから育ち成人になるまでは、親によって、または養育者によって育ててもらう。それは、与えられる愛を受けて育っていく、愛されるライフスタイルだ。
親や養育者は一心に与える愛をあなたに注ぎ込み育ててくれたと思います。
しかし、成人になっていくことは、その「与えられる愛」から離脱することが必要になるのだ。
成人
キリストの聖書にある「求めよ、さらば与えられん」という言葉があります。大人になるということは親などからの愛されるライフスタイルから脱却を図り、与える自分へと成長する七曜が出てくる。
アドラー風に言い換えると「与えよ、さらば与えられん」という言葉になる。
アドラーがいう「愛されるライフスタイル」から「愛するライフスタイル」への転換が求められる。
この与える、愛するライフスタイルに切り替えられない成人が多くいるのが現代社会ではないかと思える。
愛

愛されるライフスタイルから「愛するライフスタイル」へ変換をすることが必要である。
人が幸福と感じるには人への貢献度が必要とアドラー心理はいう。
運命の人と出会う、出会わないということがあるが、アドラー心理からいうと、黙ってやってくる運命の人はいない、自らが動いてこそ人と出会う。
愛を相手に求めるのではなく自らが愛を与え、育んでいくことで運命の人になるという。
自らが動くには「勇気」が必要だ。さらにいうと動くという「決断」をすることが求められる。
決断し行動し相手に自らの愛を与え、築き上げていくことが重要なのだ。
「私」から「私達」に主語を変化させることがポイントでもある。
まとめ
アドラー心理はすぐに理解できるものではない。しかし、私がさまざまな書物やセミナーを通して得た「幸福論」に行きつく。
それは、「利他の心」だ。人への貢献をすることだ。
人は共同体で生活しており、与えてこそ、幸福感を感じるものであるということはアドラーのこの言葉に象徴される。
「愛する勇気を持つ、他者を愛することによってのみ、自立をなしえる。他者を愛することによってのみ共同感覚にたどり着く」と。
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